あの人は彼女に嘘をつきました

だから彼女は何も、知らないまま

私も彼女に真実を噤み、彼女からあの人を嘘で包みます

それは、あの人の本心からではない望みだけど……

嘘をつく、というのは時として己を傷つける刃となるもので

彼女の言動、行動に立ち竦む己がいるのを感じます

それでも、私は嘘で彼を隠し続ける

それだけがが私にできる事だから



「パッフェルさん!」

耳慣れた声に、私は心が竦むのを感じた。

振り向けば、彼女が彼女の護衛獣と同居人を後ろに私の方に走ってくるのが見えた。

「あ、どーも。お久しぶりですう」

張り付いた笑みとわざとらしい口調は、動揺を隠す仮面。

長年の生活で身についた習慣が、今はありがたかった。

「今日はどおしたんですかぁ?」

「うん、バルレルがゼラムに行きたいって言い出してね。コイツだけだと何しでかすか分からないし、ついて来たんですよ」

「ケッ、子ども扱いしてんじゃねーよ」

彼女はバルレルさんの言うことを無視。

「それで、ネスどうしてますか?」

今度こそ、頭が一瞬真っ白になってしまった。

本当に彼女は知らないんだ。彼のことを。

でも、私も教えられない。彼の今を

「この前エクス様に聞いた話ではずうっと資料室にこもってて、誰にも会ってないって話ですよ。

……まぁ。あの人は蒼の派閥の人間を快く思ってないんだから当たり前っていえば当たり前ですけど」

「むう……相変わらずなんだから。ネスは」

嘘だ。

今の彼は「相変わらず」な彼ではあり得ない。

「そうですよねー。そんな訳できっと彼には会えませんよ」

「いいよ、師範の所に挨拶しとくつもりだから。きっとその時会えるしね」

「彼氏とご挨拶、ですかー……」

少し離れた所で手持ち無沙汰そうに突っ立っている彼女の同居人を指し示すと、彼女は

「うん、いい機会だから、ね」

と言った。

少し、自分がぐらりと傾くのを感じる。

同時、あの時の、彼の諦めたような微笑が頭をよぎった。

「じゃ、次に会う時はケッコンですかね?」

真っ白な頭とは裏腹に、口が勝手に動いて言葉を紡ぐ。

彼女ははにかんだように微笑んで、肩をすくめて見せるだけ。

「そうだと、いいなぁ」

いつの間にか隣に来ていた彼女の同居人はその言葉に微笑み、彼女の肩を抱いた。

耳元に彼が何事かをささやけば、彼女は真っ赤になって彼の胸を叩く。

幸せそうな恋人達。

今度こそ意識も何もが飛んでしまった。

頭によぎるのは、あの旅の思い出たち。

黒い源罪の風の中に消えていった天使の魂の欠片の彼女。

「あたしが、何とかしてみます」

そう言った時の彼女の瞳と、あの部屋の扉が閉めるときの、彼の瞳が重なって見えた。

悲愴を突き抜けた覚悟の瞳。

生きている人が、絶対にしてはいけない目。

一瞬、全部無駄にしてやりたいとも思った。

私の嘘も、笑えるまでに回復した彼女の努力も、あの人の沈黙も、全て、全て。

そんな思いに駆られてた私は、誰に肩を捕まれて我に返った。

「おい、行くぞ」

「あ、どこに行くのよ、バルレル!!」

「酒だ酒! いつぞやはオンナに取り上げられたからな!」

そして彼は私の肩をつかんで、人気のない導きの公園のすみまで私を連れて行った。

「すみませんね」

「ふん……それより、オマエ、正直に答えろ。メガネがオンナを助ける方法を捜しているというのは嘘だ……そうだな?」

私は一瞬、どうしようかと思った。

嘘をつき続けるべきか。真実を彼だけに話すべきか。

しかし、バルレルさんに嘘をつき続けても無駄だろう。

彼は悪魔だ。同じ悪魔であるメルギトスの事を、最初から感じ取っていたのだろうから。

「……ええ、嘘です」

「はん、そうだろうな。メガネの野郎はメルギトスに侵食されつつある。そうだろう?」

「…………」

そう、

あの人はあの時、機械遺跡を破壊しようとしていた時に、メルギトスからハッキングを受け、ウィルスとしてメルギトスの複製を植えつけられていた。

全てが終わった後に、また復活するために。

それを知ったあの人は蒼の派閥に戻ってきた。

自分の内に育ちつつあるあの悪魔を、封印するために。

そんなあの人に、蒼の派閥が下した決断は――

私の沈黙を肯定と受け取ったのか、バルレルさんは鼻を鳴らして吐息を一つ。

「おいオマエ、オレをあのボウズの所に連れていきな」

「え……?」

「話があるんだよ。メガネにな」



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